top of page
  • Black Twitter Icon
chocolate-g403235ea1_1280.jpg

蕾の少女たち

「買い物」「チョコ」「癖」という三つのお題で書いたお話です。

読者さんから「美羽と寿(父親)が気になる」という意見の多かった作品です。彼らの話もいつか書けたらいいなと思っています。

「五点のお買い上げで、1730円になります」

 

 商品の値段を五つ、レジに打ち込む。表示された金額を読み上げてお客様に告げ、お客様が財布からお金を取り出すのを待つ。お客様は、貴婦人然としたおばさまだった。バイオレットカラーのタートルネックに、ベージュのカーディガンを羽織っている。首元に下がるゴールドのネックレスが印象的だった。

 どうして年齢を重ねると、色彩感覚が少しズレてしまうのだろう。茉奈(まな)は不思議に思った。おしゃれなおば様だと思う。けれどバイレットとゴールドという色合いは、この優しそうな笑顔を浮かべるおば様にはとても似合っているとは思えない。そういうのはもっとこう、威圧感のあるいやらしいおばさんがつけているべきだ。おば様が開く長財布からは、白いレシートの束が覗いている。家庭的な人なのだろう、きっと家計簿をつけているに違いない。家計を切り詰めて生み出した少しの贅沢を、このゴールドのネックレスに費(つい)やしているのかと思うと、余計にちぐはぐな気がした。

 

「それじゃ、2000と30円でお願いね」

「2030円からお預かりします」

 

 千円札を二枚と、十円玉が三枚。お釣りを減らそうという少しの気配りも、このおば様の人柄を表していた。2030とパネルを叩き、"現/預(げんきん/あずかり)"と書かれたボタンを押すと、レジは小気味の良い音を立てて口を出した。パネルに300と表示されたおつりを下の口から取り出して、おばさまに手渡す。

 

「300円のお返しです。またお越しくださいませ」

 

 三百円を小銭入れにしまい込み、レシートを受け取ってカウンターを後にするおばさまの後姿に、茉奈は注目した。少し背中を丸めて歩く。ケーキを五つ買っていった。年の頃を考えれば、大きな子供が二、三人いておかしくない。旦那さんと息子夫婦、それから孫かもしれなかった。後者の方が温かい家庭のような気がして、茉奈はおばさまの家族を祖父母と息子夫婦、そして孫という構成であると決め込んだ。

 これからおばさまは家に帰るだろう。時刻は夕方、十七時を過ぎた頃だけど、十二月に入った暦(こよみ)では日の入りはとても早い。カウンターから見える外の景色も、もはや赤ではなく青や黒に近い色で染まっていた。息子さんはきっとサラリーマンで、帰りが遅い。お嫁さんが今頃お孫さんの迎えに行っている。お孫さんの帰りに合わせて、ケーキを買っておく。家に帰れば、お嫁さんと二人で夕飯の準備をする。夕飯はなんだろう。シチュー。そうだ、シチューが良い。優しそうなおばさまの作るシチューはきっとあったかくて、じゃがいもが口の中でほろほろと崩れる。おばさまの家族は、シチューにはパンだろうか。それともご飯だろうか。お孫さんがご飯にシチューをかけて食べている様子が浮かんだ。きっと、ご飯だ。

 からんからん、とお店のドアベルが鳴る音がして、茉奈は我に返った。おばさまがお店を出ていったところだった。茉奈は慌てて、ドアの向こうの背中に「ありがとうございました!」と声をかけた。おばさまに聞こえたのか聞こえなかったのか、おばさまが振り返ることはなかった。

 おばさまが後にしたラフィーユには、お客様の姿がなくなった。茉奈はちらりと視線を下に向けて、ショーケースの在庫を確かめる。開店から七時間ほどになるラフィーユの品揃えは少しずつ悪くなっている。これから帰宅ラッシュが始まり、もっとお客様が来るはずだった。今日は特にガトーショコラの出が良く、もう片手の指で数えるほどしか残っていない。ちょうどさっきのおばさまが、二つ買っていったからだった。茉奈はお店の外に視線をやって、お客様の姿がないのを確かめてから厨房を覗き込んだ。

 

「英(はな)さん、ショコラがもうないよー」

「もう20分待ちな」

 

 厨房では英がボウルを片付けていた。オーブンが稼働している。ケーキの焼きあがるのを待っているらしかった。茉奈は黙々と道具を洗う英を眺め、お店の方を振り返ってもう一度お客様が来ていないのを確かめると、英に話しかけた。

 

「ねぇねぇ、英さんってシチューはご飯? それともパン?」

「……なに?」

 

 英はぴくりと反応して、けれど目線はシンクに向けたままで訊き返した。

 

「シチューだよ、シチュー。ご飯? パン?」

「……パンだけど」

 

 少し肩を震わせて、英は短く返事をする。それを聞いた茉奈は、得心がいったという顔をした。

 

「やっぱり? 英さんパンって感じだよね~。しかもさ、シチューに浸けて食べないの。フランスパンにスプーンでちょっと乗せて、かじるの。でしょ?」

「なんなのあんた、気持ち悪いよ」

 

 意気揚々と語り始めた茉奈を、英は初めてねめつけた。しかし鼻で一つ息をして頭を振ると、シンクに向き直る。

 

「だって英さん和食って感じしないもん。朝もパン、昼もパンって感じ。あと、絶対コーヒー好き。いっつもブラックで飲むの。でも甘いものも好きなんだよねー」

「……気持ち悪い」

 

 英はもう茉奈に視線を送らなかったが、吐き捨てるようにそう口にした。スポンジを置いて蛇口をひねり水を止める。どうやら洗い終わったようだ。

 

「それ、やめろって言ってるでしょ。全然いい気しないよ」

「えー、友達にはけっこうウケるのに」

「あたしはイヤ。見透かされてるみたい。ていうか、きもい」

 

 茉奈が口をとがらせるのを、英は渋面(じゅうめん)で迎えた。オーブンを覗き込んで様子を見ると、一つ頷いて厨房を覗く茉奈へと向き直る。

 

「癖だかなんだか知らないけどさ、妄想でしょそれ。微妙に当たってるから余計気味悪いよ」

「当たってるんじゃないですか、やっぱり」

 

 揚げ足をとって口の端を上げる茉奈に、英は眉間の皺(しわ)を深くした。

 

「とにかく、やめな。今度そういうこと言ったら、もうケーキ教えないからね」

「ええっ!? そんな、ひどいよ!」

「ひどくない。仕事もどんな」

 

 そこまで言って、もう話は済んだとばかりに、英の関心はオーブンに移った。茉奈はまだ口をとがらせていたが、お店の駐車場に入ってくる車のヘッドライトが見えて、慌ててカウンターに戻った。英はカウンターに戻る茉奈を一瞥(いちべつ)して、呆れたように一つ息をついた。

 からんからんとドアベルが鳴って、ラフィーユに新しいお客様がやってきた。茉奈はお客様にいらっしゃいませと声をかけた。

 

「へぇ、中はおしゃれね」

「美羽(みわ)、失礼だろ」

 

 新しいお客様は、二人連れだった。一人はスーツ姿の男性で、もう一人は学生服の女の子だった。美羽と呼ばれた女の子には見覚えがないが、男性の方は茉奈もよく覚えている。常連客の一人だった。いつも決まった曜日、決まった時間にラフィーユを訪れ、決まってガトーショコラとベイクドチーズケーキを買っていく。しかし女の子連れで来たのは今日が初めてだった。美羽の身を包む学生服は、茉奈も昔通っていた中学の制服だ。美羽は男性に腕を絡ませていたが、きょろきょろと店内を見渡したかと思うと、カウンターのショーケースに目を留め、駆け寄った。

 

「美味しそ~!」

「な、来て良かっただろ」

 

 美羽はショーケースに手をついて、鼻がぶつかりそうなくらいケーキに食い入る。目を輝かせてせわしく視線を左右に動かしていたが、すぐにその表情は落胆の色に変わった。

 

「なんだ、チョコ4つしかないじゃん。10個買ってもらおうと思ったのに」

「無茶言うなよ……それにそんなに食べたら太るぞ」

 

 ため息をつく美羽に男性は苦言を呈したが、男性は笑顔だった。一方の美羽は肩をぴくりと震わせ、ショーケースにかじりついたまま首だけで男性に向き直る。その眉間に深い皺が刻まれていたのを、茉奈は目撃した。

 

「さいってー」

「えっ?」

 

 美羽は背中を伸ばして腕を組んだ。頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。

 

「年頃の女の子に太るとか言う? 普通。ありえない」

「あ……ご、ごめん。そんなつもりじゃ」

 

 機嫌を損ねて顔を背ける美羽に、男性は茉奈にも簡単に見て取れるほど狼狽(ろうばい)した。頭の後ろに手をやり、軽く頭を下げる。頭が上がらない、という言葉を身体で示していた。

 

「そんなんだからママにも逃げられたんでしょ? 誕生日だって忘れるし。ほんっとデリカシーないよね」

「ごめんって……だからお詫びになんでも買っていいって言ってるだろ?」

「ふん」

「ほら、店員さん困ってるだろ。どれにするんだ?」

「…………」

 

 男性は茉奈を引合いに出して美羽の説得を試みているようだった。男性の言う通り、茉奈は目の前で喧嘩を始めた二人に困っていたが、こうして取引材料にされるのはいい気分がしなかった。美羽の怒りの矛先が自分に向くのも面倒だ。

 

「チョコとショートをあるだけ全部、あとプリン」

「あ、はい……?」

 

 幸い美羽は茉奈に当たるようなことはしなかった。機嫌悪そうに注文をする。茉奈は視線で男性に確認をとった。

 

「お願いします」

「かしこまりました」

 

 男性が訂正もしないので、茉奈はガトーショコラを4つとショートケーキを5つ、そしてプリンを1つケースから取り出してテーブルに置いた。大きな箱の台紙を取り出し、ケーキとプリンを並べていく。その背後で、二人はまた話をしているようだった。

 

「あーあ。ママと一緒だったらよかったのになぁ。そしたら誕生日のケーキ忘れられることもなかったし」

「それは……どうかなぁ……」

「今からでもヨリ戻せばいいのに。どうせ近くにいるんでしょ?」

「いないよ、何度も言ってるだろ? ママは美羽が小さい時に死んじゃったんだよ」

「じゃあお墓行こうよ。あるはずでしょ?」

「いや……それは……」

「ほら、ないんじゃん。どうして嘘つくの? 生きてるんでしょ?」

「違うんだよ、そうじゃなくて……」

「私会いたいよ、ママに。一度でいいから会ってみたい」

「美羽……」

 

 背中越しに感じる二人の雰囲気が、どんどん尋常でないものになっていく。鼻をすする音がした。美羽は泣いているのかもしれなかった。茉奈はケーキを詰め終わった箱を手に、一つ気合を入れて振り返った。美羽は茉奈の思い描いた通り、今にも泣きだしそうな目をセーターの出た袖で拭うところだった。そんな美羽を前にして、男性は背中を小さくしてしまっていた。

 

「たいへんお待たせいたしました! こちら傷みやすくなっておりますのでお気を付けください!」

 

 努めて明るく声を張り上げ、ケーキの箱を向き合う二人の間に差し入れるように突き出した。男性はそれで我に返ったようで、弾かれたように茉奈と顔を合わせると、半ば奪うようにしてケーキの箱を手に取り、そして美羽の手を引いた。

 

「ほら、もう行くぞ。ケーキ食べよう、全部食べていいから。ほら、な?」

「要らない……ケーキなんて要らないもん……パパなんて大嫌い」

 

 ぐずる美羽を引きずるようにして、男性は店を後にした。ドアを通って出ていく二人の背中に、茉奈は元気に「ありがとうございました!」と投げかけた。男性が茉奈に向かって会釈をしたのが、最後に見えた。それからラフィーユは例日通り忙しくなり、茉奈はお客様への対応と厨房との連絡に追われた。店じまいをする21時まで茉奈は息をつく暇がなく、そのため茉奈は仕事中に余計なことを考えずに済んだ。だから、茉奈がその時のことを人に話す時間が出来たのは、閉店後に英からケーキ作りを学ぶ日課の時間になってのことだった。

 

「ねぇ、英さん」

 

 茉奈はクリームを泡立てながら、脇であれやこれやと指示する英に話しかけた。

 

「なに?」

「今日の、すごかったね」

「は?」

 

 茉奈が主語も目的語も省いて発言したので、英はなんの話か分からなかったようだ。

 

「聞いてなかった? 男の人とさ、娘さんが一緒に来て……」

「ああ……あれね」

 

 英は合点がいったように一つ頷いた。

 

「困るわよね、店内であんな。厨房にまで聞こえて来るような声でさ。親のしつけがなってないわ」

 

 苦々しく吐き捨てた。英はオブラートというものを知らないような物言いをよくする。なんでもはっきりと言ってくれる英のそういうところを、茉奈は気に入っていた。

 

「お母さん、どうしたのかな? 美羽ちゃんが会ったことないって言ってたから、もう十年はいないってことでしょ? 死んじゃったって言ってたけど、ほんとかな。離婚してバツが悪いから隠してるのかも……」

「……さあね。興味ない」

 

 茉奈がクリームを泡立てるのを、英はまっすぐに眺めている。茉奈は手を止めずに話し続けた。

 

「えー、気にならない? 美羽ちゃんがお墓ないって言ってたから、きっと死んでないんだろうなって。でも生きてて会えないってことは、どっちかに問題があるんだよね~、お父さんいい人そうだったけど、ちょっと娘に対して腰低すぎじゃない? なんか後ろめたいことがあるんだね~きっと。たぶんお父さんの方がさ、お母さんと上手くいかなくてさ……」

 

 英は目を閉じて、深く長い溜息をついた。

 

「茉奈」

 

 そして鋭く重い響きで、茉奈の名を口にする。その尋常でない英の声色に、茉奈はぴたりと動きを止めた。

 

「今すぐ道具を置いて、着替えて、帰れ」

「……え?」

 

 更衣室を指さして、英は短く言葉を切った。そして茉奈の手からボウルを奪い、片付け始めてしまう。

 

「ちょ、ちょっと英さん。なに言い出すの? まだ始めたばっかりじゃん」

「二度は言わない。片付けはあたしがしてやるから」

「そんな……」

 

 呆然とする茉奈に一瞥もくれず、英はてきぱきと道具を片付けていく。

 茉奈は英がなぜ怒っているのか、よくわからなかったが、とにかく英に謝った。何度もごめんなさいと口にして、何度も頭を下げた。しかしそんな茉奈をよそに、英は淀みのない動作ですべての道具を片付ける。茉奈を一人置いてけぼりにしてすべての作業が進んでいく。茉奈はまるで自分が必要のない存在だと言われているようで、どんどん居心地が悪くなった。英がここまで怒るのだから、きっと自分が悪かったのだと思い、手伝おうとしても、断られた。茉奈はできることがなくなって、何もできず、自分の居場所がなくなっていくのを、ただ眺めるのも辛くて、一日の業務で汚れた床を見つめていた。英が掃除を始め、茉奈のいる場所をモップでこする時にだけ、「そこどいて」と一言だけ声をかけられた。

 キッチンが綺麗に片付いて、英が帽子を脱いで出ていくまで、茉奈は下を向いて立ち尽くしていた。英は徹底して茉奈を冷たくあしらった。その理由を、ずっと茉奈は考えていた。長い時間をかけて、茉奈がようやく昼間言われた一つの理由に思い当たったのは、ラフィーユの制服がすっかり涙を吸ってぐしゃぐしゃになってからだった。

Une-maille

odi et amo, quare id faciam, fortasse requiris, nescio, sed fieri sentio et excrucior.

une-maille

intersection

©Une-Maille All rights reserved

© 2023 by Noah Matthews Proudly created with Wix.com

  • White Twitter Icon
  • White Facebook Icon
  • White Instagram Icon
bottom of page