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Blind

こちらの作品はHana*さん(@Hana_sh_love)の絵から発想をいただきました。登場する愛梨、佳乃のイメージを完全に依存しています。

名前やキャラ付けは私の独断と偏見で行っていますが、外見情報はHana*さんのオリジナルキャラクターをそのまま活用させていただきました。

この場で改めて感謝の意を表明させていただきます。

 小学生の時、モザイクタイルで絵を描いた。

 廃材のタイルを学校で用意してくれた。色とりどりの鮮やかなタイルたちから、私の好きな色を選んでぺたぺたと貼り付けると、そこには私のとても好きな世界が出来上がって、とても満足したのをよく覚えている。

 たくさんたくさん褒めてもらった。先生から、友達から、両親から。だからそれはきっと世界中の皆が好きなもので、だから受け入れてもらって当然なのだと思った。

 それなのにたった一人だけ、誰よりも認めて欲しかった人にだけ、その絵は認めてもらえなかった。

 理由は非常に簡単で単純。好きな男が出来て、話を聞いてもらえなかった、ただそれだけ。

 でもそれは、私の“好き”がまったく万能でもなんでもないただの感情なのだと分かったきっかけだったのかもしれない。

 分かったくらいで捨てられたなら、楽だったのに。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 

 ノートにシャーペンを走らせる。黒鉛が削れ、軌跡が文字となって白紙に刻まれる。これが物語であればいいのにと思う。佳乃(よしの)は物語を描くのが好きだった。自分の中から溢(あふ)れ出すものを紙面にぶちまけていくのが好きだった。物語はいつもきらきらと輝いていて、なんでもない鉛筆で書いた文字にも、青だったり黄色だったり、色とりどりの色彩が浮かんだ。けれど勉強をしている時には、それがない。シャーペンはただ目に映り頭に整理した物事を書き写すだけで、白黒の、煤(すす)けた、思考の痕跡が残るに過ぎない。そのようなことを考えてしまうから根暗なのだと、自分でも分かっているのだけれど。

 ぽき、とチョコ菓子の折れる音が聞こえて、佳乃は自分が手を止めてしまっていることに気づいた。それから、ここに愛梨(あいり)がいることも思い出す。佳乃は細く息を吐いて、ペンを置いた。椅子の背もたれに体重を預け、ベッドに寝転がる愛梨へと顔を向ける。

 

「ベッドでお菓子食べないでって、いつも言ってるでしょ?」

「んー」

 

愛梨は聞いているのかいないのか、意味の通らない返事をする。すっかり漫画に夢中な様子で、どうせ聞いていないだろうと分かったが、佳乃は鼻から短く息をしただけだった。眼鏡の横で、何度大人しくさせてもすぐに波を打ってしまう髪をいじる。愛梨が投げ出した足を無意味にぱたぱたとやるのを、意味もなく眺めた。制服でベッドに寝転がるのも、皺(しわ)になるからやめたらいいと何度も言っているのに。佳乃は諦めたように一つ頭を振って、椅子を立った。そうして漫画を読む愛梨の横まで来て、しゃがみ込む。頬杖をついて愛梨の横顔を注視した。

 愛梨は非常にきれいな顔をした女の子だった。鼻も口も輪郭も、他のパーツはすべて小さく可愛らしいのに目だけがぱっちりと大きい。小さな頃は髪も真っ黒で、ため息が出そうなほど艶やかなおかっぱ頭だった。ぱつんと切りそろえた前髪の下にくりくりとした丸っこい瞳が覗く姿は本当に日本人形のようで、とても可憐だった。中学生になった今は色を抜いて、あの頃の烏(からす)の羽根が濡れたような髪色は失われてしまっていた。それはきっと仕方のないことなのだろうと、同級生のおしゃれをしている女の子たちを見ていると思うのだけれど、それで佳乃の悲しくなる気持ちを抑えることが出来るわけではなかった。

 別に今のおしゃれになった愛梨を嫌いなわけではない。綺麗さでは昔よりずっと垢抜けて、それこそ目を見張るほどになった。よくモテるようで彼氏の話も頻繁に本人から聞く。けれどそんなことをしなくても、愛梨の可愛さはちっとも色褪せないのに。あの頃の愛梨は本当に素直で、いつも私の後をついてきて、服の裾を引いて私の後ろに隠れてしまって、それはもう守りたくなる愛らしさに満ち溢れた奇跡のような子だったから……。

 

「……なに? なんかついてる?」

 

 愛梨の訝(いぶか)し気な声で、佳乃は我に返った。

 

「ううん、可愛いなって思っただけ」

「ばっ」

 

 愛梨は一瞬目を剥いて、

 

「……かじゃないの」

 

 ぷいとそっぽを向いてしまう。その顔の動きに合わせて、愛梨の長いおさげがするりと背中から落ちた。

 

「髪、伸びたねぇ」

 

 そのおさげを手に取って、指先で撫でる。度重なる脱色の影響だろう、愛梨の髪はかつての艶を失い、指に伝わる感触もいくぶん、たおやかさに欠ける。佳乃の最も好きだった愛梨は姿をなくしてしまった。それが少し悲しい。

 

「やっぱり切らないの?」

「……切らない」

 

 長ければ長いだけ脱色の手間もかかるだろうに、愛梨は伸ばしたおさげを決して切ろうとしなかった。おさげを結わえたリボンを解き、ぱらぱらと三つ編みを解いていく。愛梨は漫画から目を離し、佳乃の横顔をじっと眺めて、佳乃の好きにさせた。

 佳乃は三つ編みの癖のついた髪を手櫛(てぐし)でするすると伸ばしていく。佳乃の言うことを聞かない頑固な髪と違って愛梨の髪は非常に素直で、何度も指の間を滑らせていると次第に本来のまっすぐさを取り戻す。

 

「今度の彼が長いの好きなの?」

「知らない、どうでもいいし」

「そういうの気にしないの?」

「どうでもいいよ」

「そういうもの?」

 

 佳乃は飽きもせず、ひたすらに愛梨の髪を梳いていく。

 

「男子なんて、どうせセックスのことしか考えてないし」

「セッ」

 

 佳乃はぎっと音の聞こえそうな勢いで動きを止めた。

 

「な、え?」

「セックスって言ったのよ、この処女」

「なっ、なに、そんな!」

 

 佳乃は顔を真っ赤にして狼狽(うろた)えた。わたわたと動かす手に追従して、愛梨の髪はあちらこちらへぱらぱらと広がった。

 

「佳乃さぁ、もう高校生も来年で終わりでしょ? 彼氏作んないの?」

「そ、そんな、彼氏なんて……」

 

 出来るわけがない。というあまりにネガティブな言葉は、なんとか口の中でとどまってくれた。

 

「私、愛梨みたいに可愛くないし……」

「ばっかじゃないの」

 

 俯(うつむ)く佳乃を愛梨は一蹴する。

 

「そんなこと言ってたらいつまで経ってもキスの一つもできないよ」

「……そうかもね」

 

 佳乃は乾いた笑いを漏らした。愛梨は目を伏せ眉根を寄せる。

 佳乃の考える物語の中で、キスをする女の子は何度も出て来ていた。それはとても美しく、そして輝かしいものだった。佳乃の思うキスへの淡い憧れがそのまま形となったそれには愛情だけが温もる。

 そんなものはなんの経験もない自分が描く幻想にすぎないことは、なんとなく分かっていた。しかし佳乃は結局のところ、その幻想が形になることを望んでいるだけで、そうでないものを受け入れる気がない。だから愛梨の言う通り、いつまで経ってもそのようなキスはできない。そこまで分かっていてなお自分を改めようと思えないことが、佳乃をもっとも自己嫌悪に陥らせる要因だった。

 

「……してみる?」

「え?」

 

 述語のみで構成された質問の、佳乃は意味を捉え損ねた。何を、と口にしようとしたところで、今にも触れそうな眼前に愛梨の美しい容貌ようぼう)が迫っていることに気づく。

 

「わっ!」

 

 思わずのけ反って、バランスを崩した佳乃は後ろに倒れそうになった。愛梨の髪からするりと抜けた手をついて、なんとか押し留まる。その滑稽(こっけい)な様子を、愛梨が悪戯気(いたずらげ)にくすくすと笑った。

 

「ばっかみたい」

「も~、びっくりしたよ」

 

 不平を漏らして、佳乃は歯を見せた。醜態(しゅうたい)を晒してしまった自分が恥ずかしくなって、頭の後ろを掻いて誤魔化すように笑う。

 

「ほんとにするわけないでしょ。女同士で」

「あはは……」

 

 別に本気にしたわけではなくて、急に目の前に来たから驚いただけだったのだけれど、愛梨が楽しそうなので言い訳はしなかった。

 愛梨は満足したのか、また体を横たえて漫画に戻った。したいように振る舞う猫のような子になった。昔の、自分の後ろに隠れていた頃の愛梨は、ただの借りて来た猫だったのかもしれないと、少しだけ考える。

 ぱたぱたと、上機嫌に足を前後させる愛梨の様子に、佳乃は軽く息を漏らして笑った。なんだか力が抜けてしまって、一周回って仕返しをしてやりたい気持ちになる。

 佳乃は寝転がる愛梨の背中にまたがった。

 

「んむっ!?」

「ふふふ」

 

 チョコ菓子を咥えていた愛梨はとっさに声が出せず、目いっぱい体を捻って背中の佳乃を見ようとする。佳乃はわきわきと指を蠢(うごめ)かせて、愛梨の脇を鷲掴(わしづか)みにした。

 

「な、なにす……あはははっ!」

「仕返しじゃ~」

「やめっ、やっ、ギブ! ギブギブ!!」

「ひっひっひ、観念せい」

 

 佳乃は意地悪な老婆の口調で愛梨をいじめ抜いたので、愛梨は次第に抗する力を失い愉快な嗚咽(おえつ)を漏らすだけになっていった。しばらくそうして愛梨に仕返しをした佳乃は、やがて嘆息して愛梨を解放したが、そこで愛梨の口から落ちたチョコ菓子の存在に気づいた。それはすっかり溶けてしまって、ベッドシーツに酷いシミを作ってしまっていた。

 

「あー! チョコが!」

 

 佳乃はそう声を上げて、はじめはベッドにシミがついたことを気にしていたが、すぐにチョコが引きずられていることに気づいた。愛梨が髪を振り乱したからだろう、シミは幾条もの筋となって幾何学的(きがかくてき)な模様を描き出している。それはつまり愛梨の髪にチョコがまぶされているということだった。

 

「た、大変……ティッシュティッシュ!」

「ふへ……?」

 

 自分の下で荒い息をつき、放心状態の愛梨を置いて、佳乃はテーブルから箱ごとティッシュを手に取ると、何枚もティッシュを取り出して愛梨の髪をぽんぽんと叩き始めた。

 しばらくなされるがままだった愛梨も、次第に我を取戻して、佳乃が何をしているのかについて思考が回り始めたようだった。

 

「え……なんかついてるの……?」

「うー、上手にとれないよー」

 

 息も絶え絶えの愛梨の質問は、佳乃には届かなかったようだ。佳乃は目に涙を浮かべて、愛梨の髪を叩いている。愛梨は苦し気に眉を寄せた。

 

「佳乃、どうしたの?」

 

 愛梨は身を起こして、ベッド脇に座り込む佳乃に手を伸ばした。

 

「ごめん、ごめんね愛梨、私のせいで……チョコが……」

「チョコ……? あ……」

 

 泣きじゃくる佳乃の断片的な言葉で、愛梨は自分からチョコの匂いが立ち上っていることに気づいた。必死に髪を叩く佳乃を刺激しないよう、少しだけ首を返すと、そこに放り出されたままの棒と悲惨な状態になってしまったチョコを見つける。愛梨は眉尻を下げた。口の端を上げた。一瞬涙の出そうな表情になった。けれど、すぐに口を引き結んだ。そうして佳乃を振り返る。

 

「ばか、こんなの洗えば落ちるわよ。ベッドの方が大変でしょ」

「でも……でも……」

 

 自分を見上げる佳乃の泣き顔を、愛梨は優しく両手で包み込んで頬を寄せた。

 

「いいから、大丈夫だから。ベッド片付けましょ、ね?」

「うう……」

 

 佳乃の涙を拭うように頬をすり合わせる。佳乃の手から力が抜け、固く握りしめていたティッシュが床に落ちた。ティッシュはたくさんのチョコで汚れ、茶けた屑紙(くずがみ)になっていた。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 佳乃が泣き止み、二人はベッドシーツを洗濯に出して佳乃の両親に怒られ、それから愛梨はお風呂に入ることになった。日は翳(かげ)り始め、夕食の時間が迫っていたので、お風呂から上がった愛梨はそのまま夕食を共にした。佳乃は夕食の準備を手伝い、夕食の予定になかった一品を手がけた。愛梨の好きな、砂糖たっぷりの卵焼きだった。

 愛梨は夕食に並ぶその卵焼きが佳乃の作だとすぐに分かったが、何も言及しなかった。けれど誰にも渡さないとばかりに、行儀悪く卵焼きの皿を抱え込み、一人でそのほとんどを食べてしまった。

 そうして夕食を終え、愛梨が家に帰ると言うので、佳乃は戸口まで愛梨を見送りに出た。

 

「今日は、ごめんね」

 

 佳乃は腫れぼったい瞼(まぶた)を伏せて、靴を履く愛梨の背中にそう呟いた。

 

「なにが?」

 

 愛梨の声は突き放すようだったが、佳乃は微笑んだ。

 

「……ありがと」

 

 佳乃がそう言い直すと、愛梨は立ち上がり、振り返って笑った。

 

「ん」

 

 慣性に応じて、佳乃が綺麗に結わえた三つ編みが弧を描いた。

 

「また明日ね」

 

 愛梨はそう言って手を振ると、力強い足取りで玄関を後にした。佳乃はその背中にまた明日と声をかけ、少しだけ愛梨の出て行ったドアを見つめていたが、くるりと踵(きびす)を返して自分の部屋に戻っていった。

 門脇家(かどわきけ)を後にして、最初の角を曲がるところで、愛梨はちらりと後ろを確認した。玄関先に佳乃の姿が見えないのが分かると、愛梨は歩調を緩めた。肩を落とす。うつむきがちになる。そうして縋(すが)るように月を見上げた。ついには立ち止まってしまう。

 

「……しちゃえばよかったな」

 

 愛梨は誰にともなく呟いて、視線を落とした。くすくすと、肩を揺らして笑うと、右肩にかかった三つ編みがだらんと垂れる。ガラスででも出来ているかのように、それを両手でふわりと包み込んで、撫でていく。

 

「ばっかみたい」

 

 自嘲して、一つ頭を振ると、愛梨は歩き出す。その足にはいくぶんの力が戻っていた。愛梨は角から2ブロック先の、“圦元(ゆりもと)”と表札のかかった家の鍵を開けて、中に入る。愛梨が戸を閉め鍵をかけ、小さな声で「ただいま」と口にして、靴を脱いで自室のある二階へと上がるまで、居間から聞こえるテレビの音が止むことはなく、居間の戸が開くこともなかった。

 愛梨が自室のドアを開いたところで、居間から母親が出て来た。奥にあるトイレへと向かおうとした母親が、ドアの閉まる音を聞いて廊下を取って返す。階段の手すりに手をかけて、母は上階を覗き込んだ。

 

「愛梨ー? 帰ったのー?」

 

 階段を昇りながら、母はそう声をかける。階段が母の体重を受け止めて鈍い音を響かせる。母は愛梨の部屋をノックして、もう一度声をかけて、何を言っているか分からない愛梨の小さな返事を耳にしてからドアを開ける。母の姿が愛梨の部屋に消えていき、ドアが閉まって、二人は部屋の中で会話を始めた。

 廊下の壁には、モザイクタイルで描かれた絵がかかるばかりになる。“4年2組 圦本愛梨”と書かれた名札に、安っぽい作りの花冠が“金賞”を讃(たた)えていた。

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odi et amo, quare id faciam, fortasse requiris, nescio, sed fieri sentio et excrucior.

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